DEZERT 野音開催記念!
フロントマン・千秋 × メンバー対談企画

<第3弾:千秋 × Sacchan>
千秋とSacchanが語る、DEZERTのリアルな過去とは。

──先だって公開されたMiyakoくんとの対談の中で、千秋くんは「2015年にやった赤坂BLITZまでの間に関しては、なかなかこんな歩み方をしていったバンドはいないだろうという進み方をしていたこともあって、当時から一緒だったSacchanとSORAくんとの間にはお互いに独特の戦友感みたいなものがある」と発言されていましたが、実は掲載スペースの都合で記事化出来なかったものの、あの後には「特に、Sacchanは俺にとってまたちょっと特別な存在なんだよね」という言葉が続いておりました。あらためてうかがいますけれど、千秋くんにとってのSacchanは何がどう特別なのですか?

千秋:そこを言葉で説明するとしたら、どういう表現がいいのかなぁ。まぁ、SORAくんもそうだし、これはみーちゃんに対してもそうなんだけど、ふたりに対しての俺は基本的に何時も“DEZERTの千秋”として接していることが多いわけよ。つまり、彼らは俺のことをフロントマンとして立ててくれている存在でもあるわけだから、たとえば「今こういうことを俺が言ったら、萎えるかもしれないな」と感じる時は、仮に俺が何か感じていることがあったとしても言わないようにしてるのね。もっと簡単に言うと、あのふたりの前だとカッコ悪いことはあんま言えないところがあるんです。

──時には“DEZERTの千秋”として虚勢を張らなければならないこともある、と。

千秋:そう。だけど、Sacchanとの場合はDEZERT結成前のストーリーから始まってる関係だからね。俺のダサいところやダメなところも十分知っていて、そのうえで一緒にバンドをやっているわけだから、何も隠すことがないんですよ。そういう意味で、仕事終わりとかプライベートで会って呑む時もしっかりバンドの話が出来るし、なんなら基本はバンドの話がほとんどと言ってもいいくらい。みーちゃんとかSORAくんはそこが逆で、そういう時ってアイツら仕事の話はたいしてしたがらないんです。しても、軽く「頑張ろうね」くらい(笑)

──千秋くんとSacchanとの関係は、単に同じバンドのメンバー同士であるという以上に、良きビジネスパートナーとしての感覚も強いわけですね。

千秋:DEZERTは自主でやってた期間も長かったから、そこは凄くありますよ。自主じゃなくなって、事務所に所属するようになってからもオトナたちとの距離感であったり、関わり合い方の部分についてよく話すのはSacchanで、メンバー全員で話をしたら議論が崩壊しかねないようなことでもSacchanとは話をすることが出来るんです。

──DEZERTにおいての首脳が千秋くんだとすると、差し詰めSacchanは官房長官のごとき役割を果たされてきているのかもしれません。

Sacchan:そうなんですかね?自分でそんな風に実感したことはないんですけど。

──ちなみに、先ほど「DEZERT結成前のストーリー」という言葉が出ていましたけれど、もともとおふたりが初めて出会われたのは何が切っ掛けだったのでしょう。

千秋:最初は、俺が昔のバンドをやってた時にセッションしたんだよね?

Sacchan:1回しましたね、池袋サイバーで。

千秋:でも、あの時は会話はそんなしてないんだよな。わりと一方的に、俺の話すことをずっと聞いてたイメージがある。だけど、音楽的な知識がある人なんだなっていうことは接しててすぐわかったし、当時は見た目が今よりもイカツイ感じだったのもあって、多分バンドマンというよりも裏方に行きたい人なんだろうなっていうのも思った記憶があるね。というか、実際そんなようなことをSacchanも言ってたんじゃないかな。それで、俺としては「音楽的なことって全然わかんないから、ちょっと助けてよ」みたいなことを言って、そこから始まった関係だったんですよ。

──その時点だと、後にバンドを一緒にやることになるというヴィジョンは…

千秋:全然!あるわけないよ。だって、当時めっちゃ流行ってたのってViViDとかなんよ??それでSacchanは入れんやろ(笑)

Sacchan:おーい!(笑)

──まさか、当時の千秋くんはViViD的キラキラ感をバンドに求めていたのですか?!

千秋:いや、そういうわけではないけど。というよりも、音楽とかバンドをそこまで本気で好きじゃなかった。別に、俺は音楽やりたくて東京に来たわけじゃなかったから。

──進学のために上京されたのでしたっけ。

千秋:うん。大学に入るために来て、大学のヤツに誘われてバンドを始めたっていうだけの話だったからさ。ヴィジュアル系は前から好きだったけど、自分の中には音楽で食ってくなんていう考えは全くなかったよ。ただその時に流行ってるものを聴いてただけで、アイデンティティなんて皆無だから自分のやりたい音楽だってなんもなかった。

──音楽を生業にするためにバンドを始めたのではなく、趣味として始めたようなスタンスだったのですね。

千秋:なんなら、あの頃の俺はバンドマンを見下してるところがあったのよ。どうせバンドなんて皆ラクしてやってるんだろうし、所詮は音楽しか出来ねーよーなヤツらばっかなんだろ?って。ところが、いざ始めてみたらこれがなかなかに難しくて(苦笑)。悔しい思いをすることにもなったから、そこでようやく「もうちょっと真剣にやってみるか」って思って、そんな時にちょうど出会ったのがSacchanだったんだよね。あれが多分、2010年くらいのことだったんじゃないかな。

──セッションで出会った当時、Sacchanはバンドに所属していらしたのですか?

Sacchan:今でもよくあると思うんですけど、バンドを組むか・組まないかみたいな試験的セッションってたまにあったりするじゃないですか。自分としては、そういうものも含めて基本的にセッションバンドに対してはあまり肯定的な気持ちがなかったんですけど、ちょうど千秋くんと出会う前くらいに自分の所属していたバンドが急遽終わってしまったことで、それをせざるを得ない状況になってしまったんです。というのも、その終わってしまったバンドで既に決まってたライヴ日程が4本くらいあった関係上、まずはそれをなんとかしなきゃいけなかったんですよ。

──ノルマをクリアするために、どうしてもライヴをする必要があったわけですか。

Sacchan:そうなんです。4人編成のバンドだったんで、とりあえず1人1本は責任を持ってセッションバンドでも何でもいいから組んで出ようぜということになり、規模的にもネーミングうんぬんのものではなかったので、イベンターさん側も「出てくれるんだったら何でもいいですよ」というテンション感の中、その急遽終わったバンドのドラムが呼んできてくれたのが千秋くんだったんです。

──その際の、千秋くんに対する第一印象はどのようなものでした?

Sacchan:それは“遅刻してくる人”ですね(笑)

──それはセッションに向けてのリハに遅刻してきたということですか??★

Sacchan:違います、ライヴ当日に遅刻してきたんです。もちろん、リハでも1回くらいは会っていたんですけど、その時の印象がかなり強いせいで僕の中での千秋くんの最初のイメージは“ライヴに遅刻してくる人”として刷り込まれちゃってるんですよ。

──それはお世辞にも良い第一印象とは言えませんねぇ。

Sacchan:多分、別の場所でメイクをしてて遅れたみたいなことだったと思うんですけど、いきなり「俺はメイクさんを別で連れてくから」っていう連絡が入って、そこでも「へぇー。こっちで用意してあるメイクさんは使わないで、慣れた人を自分で連れて来るタイプなのか。すげーなぁ」と。そして、連絡が来たあとも全然来ないんですよ。

千秋:あはは、そんな感じだったっけ(笑)

──どうやら随分な俺様モードだったようですね(笑)

Sacchan:でもなんか、僕は逆にちょっと憧れを抱いたんです。自分の時間軸で動いて、自分のメイクさんを連れて来るなんて、スター感あってカッコよくね?って。ほかのメンバーは若干怒ってましたけど(笑)

千秋:当時は今とは別方向に尖ってたからねぇ。さっきも言ったけど、なんせバンドマンを見下してて「バカばっかじゃん!」って凄い思ってたんですよ。日本語もろくに使えなかったり、かといって音楽に特化してるわけでもなく、ビミョーな感じのヤツしかいねー!って思ってたからさ。しかも、セッションに関しては俺もSacchanと一緒でアンチ派だったの。「なんで人の曲やんなきゃいけねーんだよ」って思ってたから、実は人生で2回しかやったことない。

──そのうちの1回がSacchanとの出会いだったというのは、なんだか数奇な巡り合わせを感じますね。

千秋:いわゆる寄せ集めのセッションっていうことで言えば、多分その1回しかやったことないはずなんだよね。ただ、その時はけっこう丁寧な感じで誘われたから「じゃあ、出ようかな」みたいな。だから、見下した感はかなり出てたと思う。

Sacchan:ほんと、見下されてた感はありましたよ。

──冷静に考えると、そこから“見下していた”側と“見下されていた”側が仲良くなるのは非常に難しいことのように思えます。

千秋:仲良く…か。もしかしてまだそうはなってない可能性もある、っていうのがむしろ今日の議題かもねー(笑)

──「特別な存在」ではあるけれども、だからといって「仲良くなった」わけではないのだとすると。千秋くんとSacchanの関係は一体????

千秋:世で言われる“仲良い”っていうのとは、次元がちょっと違うような気がするんよ。セッションの後に「俺、新しいバンドを組むから音楽的な面で支えてよ」っていう話をして以来、あの後には確か呑みに行ったりもしたのかなぁ。そこで話をしていく中で、Sacchanは音楽の知識があるだけじゃなくて頭の回転も速い人だっていうこともわかったから、俺としては「この人とは感覚的に話が合う!」というよりは「この人は俺の話をよく聞いてくれる人だな」っていう印象を持ったんだよね。

──なるほど、そういうことでしたか。

千秋:Sacchanって、自分の話はあんまりしない人だからさ。俺は自分のことめっちゃ言うから、それを永遠に「うん、うん」って聞いてくれたの(笑)

──具体的な話題としては、どのようなことを話されたのかは覚えていらっしゃいます?

千秋:当時Sacchanはいろいろ聞いてくれてたけど、おそらく今その内容までは覚えてないと思うよ。そうでしょ?

Sacchan:あはははは(笑)

千秋:俺はその頃に初めて音楽ソフトを使って曲を作るということに挑戦しだしてたから、Cubaseの使い方を教えてよっていう話から始まって、実際に教えてもらったりするような関係になったわけです。そして、その後は俺が当時のサイバー界隈で人気があった人たちを集めてバンドを新しくやりだしたんだけど、そこでも同期を作ってもらったり音楽的なサポートをしてもらってたね。結局それはトモダチとして仲良かったみたいなことじゃなくて、多分Sacchanとしても俺のやってたバンドが売れれば、そこに関わってたっていうことで箔が付くわけじゃない?そういうのありきで関わってくれてる、っていう風に俺は捉えてたところがあったな。

──言葉としては多少ドライな表現になってしまいますが、おふたりはお互いの利害関係が一致していたということになりそうですね。

千秋:そうそう!そういうこと。

──そこから始まったおふたりの歴史は、やがてDEZERTで共に活動していくという展開をみせることになっていきました。当初、Sacchanはどのようにこのバンドの持つ駒を進めていこうと目論んでいらしたのでしょうか。

Sacchan:それがですね。初期の頃は、正直なことを言うと諦めからスタートしたようなところがけっこうあったんですよ。

──走り出しの時点から諦めていた、とは尋常ではありませんね。

Sacchan:バンドというものに対して諦めがあったというか、要はバンドってメンバーそれぞれが自分の好きなことをやろうとし過ぎることがあったりするじゃないですか。

──承認欲求も自己顕示欲も人一倍どころか人十倍くらいに強いからこそ、自ら望んでバンドマンになられる方が圧倒的に多いのは事実でしょうね。

Sacchan:メンバー間で「俺はこういうのが好きだから〜」みたいな張り合いが始まると、僕は「それはもうわかったから、まずはちゃんと人気が出そうなことをやろうよ」って思うわけですよ。一時期それが凄くストレスだったし、その当時の自分の周りにいる人たちを見回すと「これ以上もうどうにかなることはないな」と感じてしまったので、それで千秋くんとセッションした頃にやっていた自分のバンドを「もうやめよう」となっていたんですよ。だけど、千秋くんと出会ったことで「ちゃんと前向きに人気を生むことを考えてる人に初めて会った!」っていう衝撃があって。

──遅刻もすれば、相当マイペースではあるけれども、その分「この人には他の人にない力が備わっている」と見抜かれたのですね。

Sacchan:千秋くんは「こういうことをしたらカッコ良いんじゃないか」っていう理想論的な話ではなく、もっと実質的な戦略として「これをしたら人気が出ると思うんだよね」というスタンスでの話をする人でしたからね。僕にとってはそれがとにかく刺激的だったし、千秋くんが始めたバンドを手伝っていた中でも“結果”を残していくのを間近で見ていたので、そこから一緒にやることになった時も迷いは無かったですね。駒の進め方としては、より“狙って”いくべきだなと思ったんです。

──では、Sacchanがそのためにとった方策とは何でしたか。

Sacchan:アドバイスをもらえる第三者は誰かいないか?っていう話から、まずは始めました。もちろん、自分たちの中でのベーシックな方向性は用意してましたけど、それで本当に人気が出るのかどうかは経験値がなかったからわからないところがあったので、その頃に千秋くんと交流のあった方のひとりにその役割をお願いすることにしたんです。今はとうに関係は切れちゃってますけどね。

──かれこれ10年以上も前のことですので、そこはさもありなんでしょう。

Sacchan:結果的に“その人”が正義だったかは置いといて、一応アドバイスされた通りにやっていたらそれなりに人気は出たんですよ。だから、自分たちがどうしたいかよりも人に言われたことを聞いた方がバズるんだな、という経験をそこで積んだという面は確実にありましたね。その反面、バンド主体の動き方をするとお客さんが減るということはないにせよ停滞しがちなんだな、っていう経験もしました。

──しばらくして、DEZERTは自主でバンドを運営し事務所も会社として設立することになりました。Sacchanが実権をとり物事を動かすようになった切っ掛けは、どのようなものだったのですか。

Sacchan:いや、そこは僕が物事を動かしているわけではないですね。千秋くんやメンバーと一緒に考えて、それを外部に向けて伝える仕事をしていたのが自分だったということなんじゃないかと自分では捉えているんですよ。切っ掛けも特に大きなものはなくて、自然とそうなっていた感じだったと思います。

──きっと、Sacchanは卓越したバランス感をお持ちなのでしょうね。

Sacchan:バンドの窓口として僕が一番話しやすい、というのはあったかもしれないです。やっぱり、千秋くんは良くも悪くも否定をする時ってめちゃくちゃ否定する人なんで(笑)。場面によっては、そういう千秋くんとは話をしたくない人もいるわけですよ。

──触るな危険、の状態なわけですね。

Sacchan:そういう時は、わりと物分かりの良さそうなタイプの僕から話をつなげていって、そこから「あとはバンドの中で揉んでください」みたいな通訳的ポジションになることが多いんですよ。ほんと、気が付いたらそういう立場になってました。

千秋:今振り返ってみてもいろんなことあったよね。事務所にいろいろ誘われたりとか。結果として当時の自分の視野に入ったのは今のマーヴェリックじゃなくて当時デンジャークルーかな。MUCCとかギルガメッシュとか見てて、率直に「ああいうところに入らないと売れないんだな」っていうことは感じてたし、だとしたらその頃に誘って来てた事務所のほとんどは「そこに入ってどうなるんだろう?」みたいにしか思えなかったというか。一方で、バンドっていうのは必ずおカネの勘定の件が出てくるでしょ?

──ビジネスとして成立させていくうえでは大変重要な部分ですね。

千秋:という場面で、僕は当時ファインプレーをしたんですよ。事務所に入るのではなくて、事務所の人に個人的にマネジメントの部分を頼んでみたわけです。

──ひとえに、それはDEZERTがその方に一肌脱がせるだけの魅力と可能性を持っていたからこそなしえたことなのだと思いますよ。

千秋:そういえば、その時も具体的な話を進めてくれたのはSacchanだったんだよね。でも、結論からいうとその関係は破滅しちゃった。それこそおカネのことが原因で。

──シビアな現実です。

千秋:だけど、そこから学んだこともあるんですよ。俺とSacchanは自主でやっていけるバンドにしたいということを前から意識していたところがあったし。あの頃はデンジャークルーもなんか敷居が高くてさ。「どっちにしても事務所とか無理じゃね?」っていうのがあったから、これは自主でやっていくしかないって思ってたの。だって、かなり最初の頃だったし当時はまだDEZERTっていうバンド名ではなかったけど、一時は動員6とかあったんだよ?

──今や日比谷野音での公演を目前に控えている中では、信じ難い数字です。

千秋:チケットノルマが当時20とかで、なんだかんだ3万くらいはバンドが持ち出さなきゃいけないわけよ。さらに、メイクさんにもギャラを出すじゃない。つまり、1回ライヴやるごとにメンバーひとりあたり1万必要っていうね。

──機材代、衣装代、移動費なども当然ばかになりません。

千秋:また、あの時代は衣装にカネをかけるのが正義っていう時代だったでしょ。ひとり20万とか普通みたいになってて。でも、さっき話に出てたアドバイスしてくれてた人から「そんなにコストをかけなくても衣装は出来るよ」って言われて、Sacchanとふたりで高田馬場のしまむら行ったりしてた(笑)

──しまむらのネットストッキングを腕に着用していたんでしたっけ(笑)

千秋:懐かしいよね。自分たちでカネ払ってライヴやるような修業期間を半年くらいは過ごして、DEZERTっていうバンド名に変えて、さらにその半年後くらいにSORAくんが入って、そこでようやくビジネスとしての第一歩が踏み出せたんだよなぁ。でも、そこからだって動員は20くらいで1年くらいやってたんだから。

──そうなると、そこからはいかにして跳ねたのです?

千秋:それが、これはよくSacchanとも話すんだけどね。俺ら、いまだに“跳ねた”ことはないのよ。

──あと数日後には野音のステージに立とうという人が、何を言いますやら。

千秋:いや、爆発的に動員が増えたっていう経験はしたことないから。

Sacchan:うん、そうだよね。

千秋:ジリジリと今に至ってるんだよ。強いて言うなら、一番急に増えたのは今までだと2013年にAREAでやってたイベントに出た時じゃない?あれはBlack Holeの店長の奨めで出たんだけど、まさに当時の俺はアンダーグラウンドヒーローだったからさ。当時の流行りだったキラキラ系とは違うところがすげーカッコ良い!みたいな感じになって、急にそれまでの倍以上の100人くらいに増えた。逆に言うと、それ以外で倍に増えたとかは特にない。

──とはいえ、2011年にDEZERTとしてのスタートを切ってから初のO-WESTワンマンをやるまでの期間は2年ほどだったわけで、進展ペース自体は速い方だったのでは?

千秋:それこそ、ViViDなんかは1年くらいでやっちゃってたけどね。俺らとしては一応2年でそこまで行こう、っていうのは決めてたの。でも、やったはいいけど埋まらなかったんだわ。しかも、そこで俺がライヴ中に「O-WESTがソールドするまでやるんだ!」なんて言っちゃったもんだから(笑)、計3回やったもんね。あげく、2回目なんて1回目300人から100人くらい減ったんだから。ヤバいでしょ?

──確かに。

千秋:だから、そこで一旦ワンマンするのは止めたよね。あと、O-WESTまではBlackHoleの店長がいろいろ協力してくれてたんだけど、キャパ的にBlackHoleではなかなか出来なくなってきたというのもあって、そのくらいの時期からはZEAL LINKが力を貸してくれるようになったんですよ。

──ZEAL LINK主催のイヴェントツアーにも参加されていましたものね。

千秋:当時のあのメンツの中でいったら、俺らなんて動員なかったのに出させてくれてね。それも、最初はオープニングアクトとして出るっていう話だったのに「それじゃヤだ!」って言ったら本編で出させてもらえたんですよ。あの頃はZEAL LINKのツアーだけじゃなくて、『Zy』主催の[stylish wave]のツアーも出てたなぁ。タイミング的には、もうあれってZEAL LINKの事務所にも入ってたっけ?

Sacchan:正しくは、ZEAL LINKの社長と作った別会社の方だったけどね。ZEAL LINKの事務所ではもともといろんなバンドを手掛けてたから、俺らとしては「そこに一緒に組み込まないでください。新しい会社を作ってくれないと愛を感じられません」という尖り方をしまして(笑)、一緒に会社を作ったのが2014年のことでした。

千秋:だけど、O-WESTを2015年の1月に3回目でソールドアウトさせて目標をクリアしちゃったっていう意味で、そこからは俺のメンタリティが狂い出すんですよ。追加公演でO-EASTもやって、その後には赤坂BLITZも控えてたんだけど、俺の思考がどういう音楽をするかではなくて完全にビジネスモードに入っちゃったんだよね。前のギターが脱退したのもそこのタイミングだったし、俺は要するに調子に乗ってたんだと思う。

──今そのように自ら言葉に出来るというのは、とても大切なことですね。

千秋:ZEAL LINKの社長とSacchanがお膳立てをしてくれてた中で、俺は好きなことをやらせてもらえる環境にいたけど、そこでまた拍車がかかって横暴な感じになっていっちゃったからね。あの時は敵をいっぱい作った気がする。そこでZEAL LINKの社長とも、一旦距離を置くことになったし。あれはまぁ、俺の暴走だったよね。家が近くて飲み屋が一緒だったから、Sacchanにも毎日愚痴ってたもん。

──そこで通うお店を変えずに付き合っていてくれたSacchanは、つくづく優しくて忍耐強いですね。人の愚痴を聞き続けるのは精神的に楽なことではないはずです。

千秋:Sacchanは「千秋くんが好きなことをやるために俺たちは着いていってるんだから、千秋くんは自信持って好きなことをやりなよ」みたいなことを言ってくれてたね。だけど、俺は「どうやったらDEZERTは上手くいくんだろう」っていうことばっか考えてて、どんな音楽をやりたいのかという視点が抜けてた。2015年は破滅の年だったね。

──もっとも、そこで一旦はいろいろなことが御破算になったものの、その後には新しい動きが出てきましたよね。

千秋:前のギターが辞めて、事務所も辞めて、そのかわりみーちゃんとの出会いがあって、自分たちだけで新しい会社を作ったね。地獄の自主生活の始まりですよ。俺はそんなに感じてなかったけど、絶対Sacchanは地獄だったでしょ?

Sacchan:おカネの圧力はデカかったですね(苦笑)

千秋:俺は名ばかりの社長で、Sacchanは役員で。結局また俺はやりたいことやって、カネばっか使ってたから、早々にやりくり的にヤバい展開になってたんですよ。

──しかしながら、2016年にはアルバム『最高の食卓』でDEZERTは実売と評価の両面で実績を出すことになったではありませんか。

千秋:そうね、俺もそう思ってた。でも、実情はカネないどころか借金まみれだったのよ。その借金を返せたのが2年前のコロナ中だったもん。

──いやはや、なんという明け透けなお話でしょうか。ヴィジュアル系バンドはファンに夢をみせてナンボなところもあるというのに(苦笑)

Sacchan:もうちょっと時系列を具体化させると、2016年にZeppTokyoでやってた頃は僕は経営に直接関わってなかったんですね。バンドが雇っていたマネージャーと二人三脚でやっていたような感じで、ZeppTokyoが終わった後に「ここまで来ると自主とは言ってもおカネの動きが大きくなって来ちゃってるから、正式に会社を作らないといけないですよね」ということになり、そこで経営面のことを整理したんですよ。そうしたら、当時のマネージャーがいろいろあって辞めることになって、彼の管理していた資料を全てチェックしてみたら凄い結果が残ってたわけなんです。

──恐ろし過ぎます。債務という名の結果が残っていたのですね。

Sacchan:千何百万の赤字になってました。今から会社を起てなきゃ、という時に。マジで「ちょっと、マイナスからのスタートなの?!」ってなりましたね(笑)

千秋:あははは(笑)

──今こうしておふたりが笑っていらっしゃるという事実がそこからの全てを物語っていることになるのだと思いますが、よく挽回されましたね。また、2018年にはアルバム『TODAY』を出すタイミングで現事務所であるマーヴェリックに移籍されたわけで、音楽的にはもちろんですがビジネス面での節目としても、DEZERTにとっての2018年は重要なものだったということのようです。

千秋:ある時期から、マーヴェリックのやってるライヴ制作会社・comエージェントとはずっと仕事はして来てたしね。最初に誘ってくれた時から何回も声をかけてもらってたのもあって、やっぱり愛は感じてたんだよね。それに、俺が考えてた本来の方向性としては事務所は自分たちでやりつつ、レコード会社と契約して音源を出していくっていうものだったんだけど、そこは俺のメンタリティの面でダメだった。

──何がどうダメだったのです?

千秋:レコード会社の方たちって、優秀な方が多いじゃない。「キミたちの音楽とは何なの」みたいな話になった時、当時の俺は「音楽も大事だけど今は何よりDEZERTを大きくすることが大切だから」っていう感じだったから、話がなかなか通じあわないわけ。でも、現実は借金まみれ。そんな時にまたマーヴェリックが「やろうよ」って言ってくれて、そこで「でもウチ、借金ありますよ。大丈夫ですか?」って言ったら、本気の勘定というのをしてくれたという流れだった。

──ということは…

千秋:その時点でもう『TODAY』自体は出来てたんです。マーヴェリックに入ったから『TODAY』が出来た、っていうことではない。そのあたりの流れに関しては、いろいろと偶然が重なったっていうことだったんじゃないかな。

──ここまでのお話をうかがってきて、良くわかったことがあります。DEZERTというのは、この約10年の歴史の中でその時々に必ず深く愛してくれる協力者に恵まれてきたバンドなのですね。時には横暴に振る舞おうとも、困った時には必ず誰かが助けの手を差し伸べてくれていたわけで、それはすなわちDEZERTが愛されるべきバンドであり続けてきたことの証左でもあるのだと思います。

Sacchan:いろんな人たちに助けていただいて来たな、ということはかなり感じてます。たくさんワガママも言ってきたし、当時は周りからの愛に気付けていなかったパターンもあったと思いますけど、今になってわかることが多々ありますね。

──Sacchanの場合は、DEZERTの一員としてその愛を受ける立場でもあったと同時に、千秋くんをはじめとしてDEZERTに対しての気配りを運営者的にしてきた方でもあるわけで、その采配ぶりにもあらためてリスペクトの念を贈らせていただきたいです。

Sacchan:僕はちょっと特殊な立場なんでしょうね。実際、千秋くんに対してはフロントマンとして持ち上げるじゃないですけど、前向きな部分での話をしてくる方が多いんですよ。でも、僕はキャラクター的に物分かりが良さそうに見えるせいなのか、もうちょっとシビアに「あんたらこうしないとダメだよ」っていう忠告をいただいたり、あるいは「千秋くんをもっと持ち上げるために裏で我々とチーム組まないとダメだよ」とか「千秋くんがそうするには、このくらいおカネがかかるからね」というような話をされることも多かったので、千秋くんと僕ではそれぞれの場面で感じてきたことには違いもあるんだなっていうことに、今日のこの対談の中でちょっと気付かされました。

千秋:Sacchanはそう考えるといろいろカワイソウなところがあると思うけど、でもそういう立場が性に合ってるっていうのもあるんだろうな。だって、普通の人だったら俺がなんかワガママをバーッって言ったら「おい、俺はオマエ以上に仕事してるんやぞ!」ってなるでしょ?Sacchanはそういうこと言わないもん。

──むろん、DEZERTに先頭に立ち闘ってきたのは千秋くんですが、ここまで地道にバンドを育ててきた一番の立役者はSacchanですね。異論がある人はいないと思います。

Sacchan:千秋くんとふたりで話をする時に、そのつど言葉を凄く選んできたなという実感はありますね。そこがDEZERTをやってくる中ではけっこう大変なところだったとも思えるし、なんなら今もそれは続いてます。

──もはや伝説の[千秋を救うツアー]では、千秋くんが精神的に行き詰まってしまった時にSacchanが「君は神だ。神はいろいろなものを背負わなきゃいけない。君が辛いのも仕方のないことなんだ。前に、君は自分でもMCで言っていたじゃないか。観客は民なんだと。だったら神である君は彼らを率いなきゃいけない。さぁ、ステージに向かおう!!」と説伏して何とかワンツアーを乗り切った、という逸話をそれこそZEAL LINKの出していた冊子の取材にて千秋くんからうかがったことがありましたよ。

千秋:でもねぇ。あれは今になって見方を変えると、Sacchanが追い込んだとも言えるんだよなぁ。だって、俺が悩んでると。「じゃあ、次は[千秋を救うツアー]っていうタイトルが良いんじゃない?」って、メンバーからはなかなかそう出て来なくない??

──それはそれで愛のかたちだったとも考えられますけれどね。

Sacchan:結局、話って順番が大事なのかなって思うんですよ。伝えたいことが決まっているんだとしたら、同じことを話すのでも結論に至るまでの順序や話し方が大事なんじゃないかと僕は考えてるんです。そういう意味で、時にはSORAくんやみーちゃんに協力してもらうこともあるし。まぁ、こういうのは本来だったら千秋くんの前で話すことではないんでしょうけど(笑)

──まぁ、ちょっとした種明かしにはなってしまいますか(笑)。でも、近年DEZERTの中には日本武道館という大きな共通ターゲットがあるわけですし。4人でここからそこに向けての歩みをさらに進めていくうえでの大勢には、思うに何ら影響ないはずです。

Sacchan:出来れば、ここからは出来るだけメンバーがラクをしていけると良いなと僕は思ってます。それは手を抜きたいとかそういうことではなくて、ここからはどれだけ自分たちの音楽や曲に対しての自信を持てるか、というのがよりデカくなっていくと思うんですよ。だから、こうなってくると自分らでバンドを運営してどうこうっていうのはもう事務所やスタッフの方たちに任せられるだけ任せて、メンバーはもっと純粋に音楽に対して集中するべきだなと。ありがたいことにそれが叶えられる状況が整いつつあるので、ここからはそこを突き詰めて行けるようにしたいです。

──6月18日にはDEZERT史上最大キャパとなる日比谷野外大音楽堂での[DEZERT SPECIAL LIVE 2022 in 日比谷野外大音楽堂 “The Walkers”]が決定しており、ここでは新曲「The Walker」のCDが入場者全員に無料配布されるとのことですが、それについても音楽に対し集中して制作が出来たことになりますか。

Sacchan:そうなってると思います。去年出したアルバム『RAINBOW』はブレーンの方々の意見を素直に取り入れていたものだったんですけど、そこで得たことを踏まえて臨んだ「The Walker」は千秋くんが作ってきたデモに対してメンバーのアイディアを加えていくという作り方をしていったので、自分たちの中で完結する作品づくりを実現出来たんじゃないでしょうか。

千秋:Sacchanの言う「ラクして」っていうのは、つまり「楽しんで」っていうことなんじゃないかと今の俺は感じてるよ。その結果どうなるかはまだわからないし、たとえ武道館をやったところでベンツGクラスに乗れるわけでもないだろうけど(笑)、俺たちが目指してるのは楽しく音楽をやりたいよねっていうところだから。そして、俺は一度会社をツブしてる男だけに、今はこの自分で最高だと思ってるバンドに関わってくれてる全ての人たちに、ちゃんとリスペクトを持って接して行きたいとも思ってる。あと、最後にもうひとつ一番大事なことを言っとくわ。これを読んでるバンドマンがもしいたら、自主でビジネスはしない方がいいぞ。Sacchanみたいな能力を持ったメンバーがいれば別だけど、いないならまずは良いビジネスパートナーを探すこと。俺は撤退したからビジネスはもうやらん!!(笑)

インタビュアー:杉江由紀


<第1弾:千秋 × SORA>
DEZERT変革の歴史は千秋とSORAの中にあった──。

<第2弾:千秋 × Miyako>
MoranからDEZERTへ、Miyakoと千秋の7年間とは。

<第3弾:千秋 × Sacchan>
千秋とSacchanが語る、DEZERTのリアルな過去とは。


公演情報
DEZERT野音デジフラ

■DEZERT SPECIAL LIVE 2022 in 日比谷野外大音楽堂 ”The Walkers”
2022年6月18日(土)日比谷野外大音楽堂

OPEN 16:30 / START 17:30
【チケット料金】前売 ¥6,000(税込)

(問) DISK GARAGE 050-5533-0888


※入場者全員に新曲「The Walker」CD無料配布
●The Walker Project
Documentary of “The Walker”
DEZERT Official YouTubeにて配信中
●特設サイト
https://www.dezert.jp/twp/
●DEZERT YouTube
https://www.youtube.com/c/DEZERTOFFICIAL


●ミザリィレインボウ (JACK IN THE BOX 2021 Live at NIPPON BUDOKAN)


【チケット発売中!】
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<関連リンク>
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