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2022年10月15日 (土)


★びじゅなび独占撮り下ろし撮影&対談実現!★KISAKI(Matina代表)×AKIRA(MIRAGE/現RENAME)×幸樹(Mist of Rouge/現ダウト)×Ruiza(Distray.LAYBIAL.Syndrome/現D)×ヒナ(AZALEA.サリー/現Lucifer’s underground)×龍夜(Syndrome)座談会!!

NEWS - 19:00:24

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間もなくバンド活動30周年を迎えるヴィジュアルシーンのカリスマ的存在、KISAKIが20歳の時に設立したレーベル「Matina」設立25周年デモテープコレクションアルバム「PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:I&Vol:II~」、2022.11.16に二枚同時発売決定!!

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 Matina_logoのコピー

 Matinaの創設から数えて、今年でちょうど25年。Matina時代に数多く作りあげたデモテープ音源の中から、全部で30曲を厳選し、リマクスタリング。同音源たちを11月16日に、2枚のオムニバス盤『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:I~』『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:II~』に分けて発売する。

 

 このたび、Matinaの代表であるKISAKIを中心に、Matinaへ所属していたAKIRA(MIRAGE/現RENAME)・幸樹(Mist of Rouge/現ダウト)・Ruiza(Distray.LAYBIAL.Syndrome/現D. solo works)・ヒナ(AZALEA.サリー/現Lucifer’s underground)・龍夜(Syndrome)が集まり、Matina時代を振り返る座談会を行った。当時の思い出話を通し、改めてMatinaというレーベルの魅力を感じてもらいたい。

 

 

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Matina、25周年について…。

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――Matinaの創設から数えて、今年でちょうど25年。Matina時代に数多く作りあげたデモテープ音源の中から、全部で30曲を厳選し、リマクスタリング。同音源たちを11月16日に、2枚のオムニバス盤『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:I~』『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:II~』に分けて発売します。あれから四半世紀も経ったんですね。

 

KISAKI:もう四半世紀か。そう捉えたら、すごいことに感じますよね。今年は、Matinaの25周年もそうだけど、MIRAGEも25周年ということで色々と動いています。今の時代の中、”25周年”がどれほど大切な意味を持つ数字になるのか、自分では正直わからない。来年は、僕も音楽活動30周年を迎えます。今もコロナ禍の影響で、やりたくてもできないことが多い状況の中。だからこそ、今、出来ることを極力やりたい。そんな思いから出てきたのが、今回の”Matinaへ所属していたバンドたちのデモテープ音源”のみをセレクトしてまとめあげたオムニバス盤の制作でした。そのうえで、今日集まった5人はもちろん。Matina時代に所属していたメンバーらへ声をかけ、2枚の作品を作り上げました。

もう一つ理由を加えるなら、MIRAGEとして活動していく中、いろんな後輩バンドたちから「MIRAGEを聞いてました」ばかりではなく、「Matinaに所属していた色んなバンドに影響を受けました」という言葉も、耳にする機会が増えてきた。こんなにも多くの人たちが「Matinaに影響を受けた」と言ってくれるのなら、その記憶をしっかりと未来へ受け継いでいこうという思いから、今や入手不可能な音源たちを復刻させた経緯もありました。

 KISAKI1

▲KISAKI

 

――Matinaというレーベルが、当時のヴィジュアルシーンに与えた影響は大きなものがありますからね。

 

KISAKI:当事者である自分たちは、そこまで大きくは捉えてないけど。でも、そう言ってもらえるのは嬉しいです。

 

 

――デモテープの音源は、すべてKISAKIさん自身が保管していたもの?

 

KISAKI:自分で保管していたものもありますけど。すべてを保管しきれていたわけではないので、そこは、当時のバンドメンバーやスタッフ、友人、レコーディングエンジニアに声をかけ、復刻しています。

 

 

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それぞれのMatinaへ加入した経緯が…。

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――この対談には、5人のMatinaに所属していたバンドのメンバーが集まりました。まずは、一人一人、KISAKIさんやMatinaとの出会いの話から聞かせてください。幸樹さんは、Mist of Rougeとして当時のMatinaへ所属。そのきっかけから教えてください。

 

幸樹:当時、Gu:Laymuというバンドがいました。そこのヴォーカルが失踪してしまい、急遽「目黒鹿鳴館でライブが決まってる。サポートでヴォーカルをやってもらえないか」と声をかけられことがきっかけでした。

 僕は、それまでKISAKIさんと直接お会いしたことがなかったので、目黒鹿鳴館に着くなり挨拶しに行ったわけですよ。扉を開けた瞬間、KISAKIさん、人を殴ってました。その様を見て、「すっごいヤバいところに来てしまった」と思いましたね。ただ、理由を聞いたら、当時のローディーの子が勝手にアーティスト写真をファンの子たちに売ってお金を稼いでたと。それでKISAKIさんが怒って説教をしていた場へ、ちょうどぶつかってしまったんですけど。その話には続きがありまして。KISAKIさんが、「坊主にして誠意を見せたら許してやる」と。それでローディーの子へバリカンを買わせに行かせたんですけど、その子は「バリカンを買ってきます」と言って出ていったまま…消えました。

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▲幸樹

 

KISAKI:あのローディー、あのままいなくなってしまったな(苦笑)。

 

幸樹:そんな出会いもありましたけど。そのとき、KISAKIさんに「自分はこういうバンドで活動をしています」とMist of Rougeのデモテープを渡したところ、KISAKIさんに気に入ってもらえたんでしょうね。その後、ライブを観に来てくださり、「Matinaからデモテープを出そう」という話になり、そのまま所属。結果、Matinaが解体するまでずっと所属していました。僕自身、Matinaの音源をよく買っていたので、自分がCDを持っているレーベルから音源を出せることは、すごく嬉しかったです。

 

KISAKI:あの頃はまだ高校生だったよね?

 

幸樹:当時、高校3年生でした。

 

KISAKI:僕がMatinaを立ち上げたのが20歳のとき。まわりにも、10代のメンバーがいっぱいいた時代でしたからね。中でもMist of Rougeは、こだわりの強いバンド。他の所属バンドもみんな、「あーしたい、こうしたい」といろんなアイデアやこだわりを提示してくれば、その要望を聞いて音源を作っていましたけど。Mist of Rougeは、発想も、要求も、高校生とは思えないほど他とはスケールが違ってた。Mist of Rougeに関しては、デモテーフの時点から、かなり制作費をかけてやっていましたからね。Mist of Rougeは、所属して以降、ずっと成長してゆく姿を見てきたバンド。幸樹も言ってたように、Matinaが解散するまでずっと一緒にいました。

 

 

――Ruizaさんは、Distray・LAYBIAL・Syndromeの3バンドで音源に参加しています。

 

KISAKI:Ruizaとは、Matinaを立ち上げる前から出会ってますね。

 

Ruiza:MIRAGEを立ち上げる前のバンド (La:Sadie’s)の頃から知っててファンだったし、なんなら、KISAKIさんからサインをもらったこともありました(笑)。

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▲Ruiza

 

KISAKI:それ、覚えてる。難波ロケッツだ。

 

Ruiza:僕は、Distrayというバンドに後から加入という形でMatinaに入りました。当時の大阪では、Matinaが立ち上がった頃から有名なレーベルだったし、大阪に住んでいるヴィジュアル系好きな人だったら、Matinaの名前は誰もが耳にしていました。しかも、勢いのあるレーベルということで憧れを持って見ていましたからね。

 Matinaへ加入するきっかけは、KISAKIさんからの電話でした。当時のDistrayのメンバーから「とある方から電話がきたんだけど、ちょっと変わってくれ」と言われて電話に出てしゃべったら、その相手がKISAKIさん。そのときに「うちのレーベル入らへん?」と声をかけられ、「入ります」と即答しました(笑)。

 

KISAKI:ほんと、即答だったよね(笑)。

 

Ruiza:KISAKIさんと面識はありましたけど、当時はMatinaの存在を外から見ている立場。あの頃の自分の中でのMatinaの印象は、”ものすごく攻撃的でスリリング”というか、”危険な匂いを放つレーベル”という印象でした。だけど、レーベルの中に入ったら印象がまったく変わったというか、毎日がすごく楽しくて新鮮でした。

 当時のKISAKIさんはMIRAGEとして活動をしていましたけど、あの頃のMIRAGEは途轍もなく存在感の大きい、僕からすれば憧れのバンドでもありました。しかもDistrayがMatinaへ加入したのが、AKIRAくんがMIRAGE第二期のヴォーカルとして入った頃の時期。だから、より鮮明に、あの当時のことは覚えています。今、この時代に再びMIRAGEが活動しているのが、当時の僕にしてみれば信じられないようなこと。改めて、今もMatinaの魂は存在しているんだなぁと感じますね。

 

KISAKI:Ruizaとは、一緒に住んでた時期もあったよね?。

 

Ruiza:ずっとKISAKIさん家に泊めてもらって、本当に一緒に住んでいるような状態でしたね。

 

 

――Syndromeでは、同じバンドのメンバーとして活動することになりましたからね。

 

Ruiza:僕の場合、Distray、LAYBIAL、そしてSyndromeのメンバーとしてMatinaで3つのバンドでお世話になりました。バンドが変わっても長くお世話になっていたのは、それだけ居心地がよかったからなんですよね。あの当時は知らないことも多かったから、一つ一つの経験を重ねるたびに夢中になってやっていました。もちろん、今振り返れば大変なこともありましたけど。それ以上に、何をやるにも楽しさのほうが勝っていたし、毎日が充実していた。それが大きかったんでしょうね。ただ、Syndromeを始めたばかりの頃は、憧れだった人と同じバンドをやるわけですから嬉しさもありましたけど、プレッシャーはすごくありました。

 

KISAKI:Ruizaは、当時からルックスを含め、ギタリストやソングライターとしてすごく優秀だった。MIRAGEの解散が決まり、次に新しいバンドとしてSyndromeを結成しようとなったとき、最初に浮かんだメンバーがLAYBIALのRuizaと紫音だった。Syndromeはそこから始まってるんですよ。

 

 

――Syndromeは、MIRAGEを解散して、すぐに動き出していましたよね。

 

KISAKI:MIRAGEを解散したのが2000年1月で、同年3月にはもう動いてましたね。

 

Ruiza:KISAKIさんの誕生日イベント出演へ間に合わせる形で動いていましたね。

 

 

――龍夜さんは、Syndromeのヴォーカリストとして活動をしていました。

 

龍夜:僕とKISAKIさんの接点はですね、僕が群馬で CRESCENTというバンドをやっていたとき、MIRAGEが熊谷VOGUEへツアーの一環で来たときにオープニングアクトで出させてもらったのがきっかけでした。初めての出会いはそこでしたけど、KISAKIさんと深く話をしたのが、楽屋という群馬の打ち上げ会場にKISAKIさんが訪ねてきたとき、僕とメンバー数人が挨拶に行って、そのときにいろいろと話をさせてもらいました。そのときは、一緒に写真も撮ってもらって嬉しくて「いい思い出になった。」と思っていました。というのも、当時の僕らにとってMIRAGEは、雲の上のような存在。 CRESCENTがMIRAGEのオープニングアクト的な形で一緒に出れただけでも、かなり緊張していたんですけど。あのときのライブをKISAKIさんが見てくれていて、しかも、僕らのことを気にしてくださっていたんですよ。 CRESCENTはMatina所属バンドではなかったですけど、デモテープをリリースさせていただいたこともありました。その後、バンドは解散してしまうんですけど。突然、Syndromeのヴォーカルにというお話をいただいたことが、Matinaへ所属するきっかけなりました。

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▲龍夜

 

KISAKI:CRESCENTは気になる存在で、一度、Ruizaと一緒に群馬まで観に行ったね。

 

Ruiza:ちょうど、解散ライブのときでしたね。

 

KISAKI:当時の CRESCENTは、本当に勢いがあってカッコ良かったです。

 

龍夜:目黒鹿鳴館で群馬バンドばかりを集めたイベント「群馬革命」を開催したときも、KISAKIさん観に来てくださっていましたよね。

 

KISAKI:観に行ったね。龍夜自身が、当時の群馬のヴィジュアルシーンやバンドたちを盛り上げたいと積極的にやっていたし、自分らも群馬にはよくライブで行って、みんなと交流を深めてたからな。 

 あの頃は、よく前橋とかでも打ち上げをやってたな。楽屋という場所で、ライブ後に打ち上げもやっていたんだけど。Mist of Rougeのメンバーとか、飲みすぎるたびに、酔い醒ましに行った外の道端でよく寝てたよな。幸樹は、当時から瓶ビールの一気がめっちゃ早くて、あれもすごかった。覚えてる??

 

幸樹:覚えてますよ。誰が一番早く瓶ビールを開けられるかと競いあったときに、僕が一番になったんですけど。一番になってしまったがゆえに、その後の打ち上げでも絶対に瓶ビールの早飲みが始まると、参加させられていたんですよ(笑)。

 

KISAKI:あの頃は、何をやるにも真剣やったからな。ライブも真剣やったし、打ち上げも真剣やった。瓶ビールって、飲み終えるまで時間かかるじゃないですか、 幸樹は一瞬やったな。

 

幸樹:飲むというよりも、ただ、喉に流し込んでいただけなので(笑)。

 

KISAKI:話は戻るけど。Syndromeを結成するに当たって、龍夜に声をかけた形だったんですよ。

 

龍夜:あの頃は東京に住んでいたんですけど。当時の彼女と遊んでいるときに、うちのスタッフから「KISAKIさんが電話くださいと言ってます」と連絡が来て。恐る恐る電話をしたら「Syndromeへ入らないか」というお誘いをいただきました。あのときの電話、めっちゃ緊張したのを今でも覚えてます。

 

 

――ヒナさんは、AZALEAとサリーの2バンドでMatinaへ参加。AZALEAは名古屋バンド。Matinaという大阪のレーベルへ所属するのは、当時にしたら珍しかったんじゃないですか。

 

ヒナ:僕らも、そう思います。僕ら、名古屋で活動をしているバンドでしたから、もしレーベルに入るなら名古屋のレーベルに入るもんだという意識でいたんですけど。その当時から「KISAKIさんというすごく頭のいい人が関西にレーベルを作った」という話を聞いていれば、AZALEAのローディーの子がやっていたEye for youってバンドとKISAKIさんが仲良かったことから、その流れで声がかかった形でした。AZALEAは、Matinaを立ち上げた初期の頃に在籍していたバンド。他に所属していたのが…。

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▲ヒナ

 

KISAKI:あの頃には、VellaDonnaやMadeth gray’llだったね。AZALEAは、けっこう早い時期にMatinaへ所属したバンドでしたね。

 

 

――なぜに、名古屋で活動をしているバンドをレーベルに招いたのか、そこも興味のあるところです。

 

KISAKI:特に地域に拘ってなかったし、当時の僕から見た名古屋シーンは、少しずつ崩れ始めていた。だから、「こっちに来ないか?!」と、有望なバンドを誘った形でしたね。

 

 

――所属してみたら、居心地は良かったわけだ。

 

ヒナ:居心地がいいというか。僕らは、レーベルへ所属後もずっと名古屋に住んでいたから、他のMatina所属バンドたちのように、プライベートでKISAKIさんと一緒に過ごす時間はあまりなかったので、そこに関してはみなさんほどわかってないんですけど。ただ、レーベル自体の勢いはすごくあったから、対バンしていくのが、どんどん雑誌に載っているバンドさんたちになっていった。その環境を見て「ここで頑張ろう」と思っていたし、AZALEAの次にやったサリーでも、同じ気持ちでMatinaの中で活動をしていましたね。

 

KISAKI:ヒナは良い意味で癖のある歌い手で、当時から自分のスタイルをしっかり持っていたからね。しかもAZALEAは、いい意味で黒夢やROUAGE などの名古屋系の流れを継承していけるバンドやった。そういうバンドがMatinaに入ったら面白いんじゃないかと思って、声をかけました。

 

 

――今もMIRAGEのメンバーとして一緒に活動をしているAKIRAさんとの付き合いも、かなり長いですよね。

 

KISAKI:僕がLa:Sadie’sをやっている頃に、AKIRAがやっていたL~CYFERと出会ってだから、もう長い関係ですね。ただ、AKIRAとは「Matinaに所属する」など、そういう堅苦しい話をした覚えもなく。Matinaを立ち上げた頃は、ダビング番長として朝から晩まで1日中にコンポの前に張りついて、デモテープのダビング作業をずっとやってもらっていたんですよ。まだAKIRAが加入する前の第一期MIRAGEのときに作ったデモテープも、AKIRAがダビングしてくれてたからね。そのAKIRAが、後にMIRAGEのヴォーカルとして加入するとは、あの当時の僕も思っていなかった(笑)。

 

AKIRA:あの頃は、ずーっとコンポの前にへばりついていましたからね。

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▲AKIRA

 

KISAKI:地蔵のように、じっとしながらな。

 

AKIRA:あの作業はけっこう大変でした(苦笑)

 

 

――AKIRAさんは、L~CYFERとしてMatinaに所属していたわけですよね。

 

AKIRA:所属していたといえば、そうなりますけど。ホンマに、Matinaを立ち上げたばかりのときでしたからね。

 

KISAKI:AKIRAは、レーベルを立ち上げる前から身近にいる存在やった。AKIRAも、今聞いても当時からスタイルが変わってないというか、早い時期から自分のヴォーカルスタイルを確立していましたからね。L~CYFERをやってたのって何歳の頃?

 

AKIRA:17.5歳くらい。

 

KISAKI:その若さで、あのヴォーカル力ですからね。しかも17歳で、すごく肝っ玉が座ってた。あの当時、学校も行ってなかったよな。

 

AKIRA:行ってなかったですね。出席日数も足りてなかったですけど、高校のほうから「早く出ていってくれ」と言われたことで卒業しました。

 

 

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Matina時代のエピソード話を聞いたところ…。 

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――Matinaを立ち上げた頃のKISAKIさんは、だいぶ尖っていたんじゃないですか。

 

KISAKI:20歳という年齢でレーベルを立ち上げた背景もあったから、「嘗められたらあかん」という気持ちがとにかく強かった。とくに、当時のビジュアル系シーンは縦社会がすごく厳しい時代だったんですよ。そこで、どうやって生き残っていくか。そのためのことも、いろいろ考えていましたね。あの頃は、対バンするのが面倒なバンドもいたんですよ。そういうときには、Mist of RougeやEze:quLによくライブ出演を任せてました(笑)。

 

幸樹:ありましたよね。面倒な対バンのときはEze:quLに任せようみたいな(笑)。ラメたん大変だったやろうな(苦笑)

 

KISAKI:あの頃は、いろんなバンドの良いときも、その逆の状況も、いろいろと見ていました。それこそ、メンバー間が悪くなり、解散する状況も見てきた。それを側で見ながら、どうにか出来んもんかと思っても、なかなか思うようにいかないこともあったな。

 Matinaは所属バンド数の多いレーベルという理由もあって、中には、アンチKISAKI派も出てくるわけですよ。そういう奴はそういう奴らでよく固まっていましたし、影でこそこそもしていましたけど。そういうバンドは、「全部わかってるんだよ」と心の中で思いながらも、見て見ぬ振りをしていましたね。

 

 

――みなさん、KISAKIさんとはいろんな思い出があると思います。

 

幸樹:ありすぎるくらいですよ。Matinaに所属して以降は、よくKISAKIさん家に集まって遊んでいましたからね。あのとき、ブランデーを使ったゲームが流行ってて、それでうちのベースが飲み過ぎて、「ちょっと風に当たってくる」と外に出ていったときにも事件が起きましたよね。

 

KISAKI:あったな。「ちょっと冷たい風を浴びてきます」と出ていったはいいけど。酔っぱらった状態で、道端でグテッとしていたからなのか、近所の方が「道端で人が倒れてる」と騒ぎだし、救急車を呼んだらしいんですよ。

 

幸樹:すぐ近くで救急車のサイレンが鳴ってるから、なんだろうと思って、みんなでベランダに出たら、うちのベースが救急車へ乗せられて病院まで運ばれていく、まさにその場面。

 

KISAKI:「救急車に乗せられた」となり、外まで追いかけたんだけど。外に出たときには救急車が走り去ったあとで、なぜか靴だけが道路に置いてあったという。あの当時は、よく自分家に集まっては、所属メンバーらとゲームをして遊んでいましたからね。

 

Ruiza:よくサッカーゲームをやっていましたよね。KISAKIさん、自分が勝つまで寝かせてくれないんですよ(笑)。 

 

幸樹:しかも、KISAKIさんの部屋ってめっちゃ寒いんですよ。だから、KISAKIさんに気づかれないようにリモコンを使って部屋の温度を1-2度上げるんですけど。それでも、ばれて元の温度に戻させられるという。

 

KISAKI:勝つまで寝かせんとか、あったな。それも、当時の僕にとっては仲間たちとのコミュニケーションやったんですよ。確かにレーベルの代表だし、みんなよりもちょっとだけ年齢は上やったけど、そんな年齢の離れてないミュージシャンばかりやったから、ほんま友達という感覚で遊んでいましたからね。

 

Ruiza:いわゆる、高校の先輩後輩みたいな感じでしたよね。

 

 

――Ruizaさんは、Matinaがどんどん大きく成長してゆく過程を見てきた人ですよね。

 

Ruiza:そうですね。あの当時の勢いは凄いなと思って見ていました。凄いのが、KISAKIさんが所属全バンドのスケジュールをすべて把握していること。「こういうイベントがあるんですけど」と誘いが来たとき、その日程を聞いて、「この日なら、このバンドとこのバンドはスケジュールが空いてる」と言って、次々と決めていくんですね。僕がSyndromeのメンバーとしてずっとKISAKIさんの側にいる頃はとくに、そういう姿を間近で見ていましたからね。

 

KISAKI:その当時から、そこら辺の記憶力だけは良かったんですよ。間違えてダブルブッキングをしたことも、たまにはありましたけど(笑)。とくにMatinaの設立から間もない時期は、「まずは関西を徹底的に攻めよう」ということで「関西ZONE TOUR」をやって、大阪のライブハウスはすべて制覇するくらいの勢いで、Matina所属バンドがいろんなライブハウスに出ていましたからね。

 

Ruiza:僕がDistrayの頃に、AZALEAと DAS:VASSERとSoleilのSと一緒に「Decadence」という音源を出して全国ツアーをやったことがありました。あのときも、タイトなスケジュール中で全国各地をまわりましたけど、その時の経験がなかったら、今の自分は無いと言えるくらい力になりましたからね。しかも、Matina時代に仲良くなった仲間たちとは、今でも仲良くさせてもらっている。それくらい、大きな経験になった時代でしたね。

 

 

――けっこうタイトというか、むちゃくちゃなライブスケジュールでしたよね。

 

KISAKI:だけど、みんながめちゃくちゃハードというスケジュールを、僕らMIRAGEが率先してやっていましたからね。それに、他の所属バンドたちからも「スケジュールがきつい」と言われたことはなかった。唯一言ってきたのが、Vella Donnaだけ(笑)。あの当時、けっこう優遇して無理ないスケジュールを組んでたはずなのに、「ライブ本数が多い」とか訳わからんことを言ってな~。

 

 

――KISAKIさん自身は、自分の経験値を基準にして組んでいたわけだ。

 

KISAKI:そう。当時は、ライブ活動を出来ること自体が幸せなこと。あの頃は、いろんな地域をまわっていると、どこでもたくさんのお客さんたちが来てくれていたし。その土地土地のバンドたちとも交流を深めては、その地域へ行くたびによく遊んでいましたからね。

 

 

――幸樹さんは今、ダウトを自分たちで運営していますよね。Matina時代の経験は、今も役立っています?

 

幸樹:今は、自分たちでやっているからこそわかることも出てきましたけど。Matinaに所属していた当時は17-18歳と10代だったので、正直、裏側の大変さはわかっていなかったです。そこは、今、自分たちでやるようになってわかってきたこと。あの当時のKISAKIさんは、最大時で14バンドくらいMatinaへ所属していたバンドのハンドリングをすべて一人でしていました。あれは、ものすごいことやったなと、今、同じ運営する側の立場になって感じていますし、昔も今も、そんなことを出来るのはKISAKIさんくらいしかいないですから。

 

  

――AKIRAさんは、他のバンドマンたちとはちょっと異なるスタンスでいる方でしたよね。

 

AKIRA:そうですね。

 

KISAKI:確かにAKIRAは、他のバンドたちとは所属のスタンスも違っていたけど。スケジュール面はもちろん、メジャーデビューを控えてなど、いろんな面で一番激動だった第二期MIRAGEのヴォーカリストとして加入したことで、相当のプレッシャーはあったと思いますよ。AKIRA自身は、そういうのを表には出さないけど、裏で努力しているのは知ってたんで。AKIRAのMIRAGEのメンバーとしての初ライブが、いきなり1000人越えのワンマン会場。そりゃあ、プレッシャーも半端ないですよ。

 

AKIRA:そのワンマン公演をやったのが、梅田HEAT BEAT。ライブを終えて、KISAKIさんの専属でやっていたPAの山本さんにぼろくそに言われたことで一気に火が付きましたからね。

 

KISAKI:山本さんは、自分が認めないバンドのPAをやってくれないってくらい敏腕なんですよ。

 

AKIRA:「嘘やろ?!」っていうくらいボロカスに言われた。それで火がついて、今の自分があるんで。

 

KISAKI:昔は、ライブハウスの人たちも、バンドとすごく身近に寄り添っていたし、各地の箱の人たちが、自分の地域を活気づけようとしていれば、そうやって各地域でヴィジュアル系も盛りあがっていた。そういう人たちの熱意を知っていたからこそ、僕らも、その人たちに会いに行きたくて全国各地をまわっていたのもありましたからね。しかも、一つの地域に行ったら、すぐ近くの県にも行かなきゃとなり、それがどんどん増えていって、気づいたら全国各地を細かくまわるのが普通になっていた。

 今でも覚えているのが、Matinaとしての東京で初主催イベントを開催したときのこと。大阪では定期的にMatina主催のイベントを開催すれば、相応の成果を見せていた。そこから、次は東京進出ということで、東京のイベンターさんにON AIR WEST(現Spotify O-WEST)を抑えてって頼んだんだけど。なぜかイベンターの方が間違えてON AIR EAST(Spotify O-EASTを抑えてしまっていた。それを知ったときは、「Matinaの初東京イベントで、その箱埋まるのか、知らんで」と思ってやったんだけど。蓋を開けたらSOLD OUT。そこから更にMatinaの勢いがどんどんついてきたのは。

 

 

――AKIRAさんは、けっこうMatinaの中でも優遇されていた立場じゃなかったですか?

 

AKIRA:どうなんやろ?僕自身、Matinaの他のバンドとの絡みはほぼなかったんでね。

 

Ruiza:AKIRAくんの場合は自由な人というか、他のバンドとは違ったスタンスだったなと思う。

 

ヒナ:自由という面では、僕らも名古屋を拠点としていたので、すごく自由に活動をさせてもらっていたなという印象ですね。当時は、いかにツアー本数をこなせるか。それが格好よさや実力の基準にもなっていたから、そういう環境をいただけていたのは、すごくありがたかったですね。

 

 

――ヒナさんも、当時のいろんな思い出はありますよね。

 

ヒナ:いろいろありましたね。Ruizaくんがいるので、一つ語るとしたら、ライブ後にDistrayと打ち上げをやることになってて、僕らAZALEAは先に打ち上げ会場に入ってたんですけど。そのあとに、KISAKIさんとDistrayのメンバーが入ってきて、いきなり僕らの後ろで、KISAKIさんが反省会というか、説教をしだしたんですよ。僕ら、一応レーベルの先輩だったんで、なんとかDistrayの力になれないかなと思い、KISAKIさんの脇腹を後ろからそっと近寄り、こちょこちょっとくすぐったんですよ。そうしたら、KISAKIさんに「何やってんねん」という無表情で睨まれ、ますます空気を乱したなんてこともありました。

 

KISAKI:あんとき、ぜんぜん空気読めてなかったからな(笑)。

 

ヒナ:僕らは名古屋に住んでたんで、大阪のバンドマンたちの空気感がわからなかったんですよね。なので、ついKISAKIさんの脇腹をこちょこちょっとしてしまったわけなんです。

 

龍夜:今もそうですけど、あの当時のKISAKIさんは、なにもかも豪快でしたからね。楽屋で打ち上げをやったときにも、一度外に出て戻ってきたら、いろんなバンドマンが飲みすぎて倒れてて、KISAKIさんが一人バットを振りまわして周りに人が倒れてるとか、そんな飲み会でしたからね。当時のレーベルの社長は、みんな豪快でしたよね。金遣いも豪快で、当時のKISAKIさんの財布とかパンパンに膨らんでるんですよ。それを、気にもしないで豪快に使う。毎晩スタジオ後に一緒に何百万って金を使って飲み歩いてました。僕は、Matinaをやめてから、いろんな人たちに「大変だったんじゃない?」と聞かれてたんですけど。確かに大変なこともあったけど、意外と自由にさせてもらっていたなと思ってて。けっして締めつけるわけではなく、みんな自由にさせてもらえていた、そういうレーベルでしたからね。

 

KISAKI:その中でも龍夜は、とくにのびのびやってたけどな(笑)。

 

龍夜:のびのびやっていましたね(笑)

 

KISAKI:Syndoromeとして活動を始めた頃、新たに住む場所を探すのが大変だったから、「俺んところに一緒に住めば」と誘って、KENと同じマンションに住んでたしね。

2枚のオムニバス盤『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:I~』『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:II~』について振り返る。 

 

 

──11月16日に発売する2枚のオムニバス盤『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:I~』『PRELUDE~Anthology of Brilliance Vol:II~』、それそれ収録作品や、このオムニバス盤についての想いも聞かせてください。

 

幸樹:今のヴィジュアル系好きの子たちが歴史を学ぶ意味でも、この2枚はとても貴重な音源集であり、このシーンのより深いところを感じれる作品だと思います。同時に、あの当時によくライブを観ていたり音源を聞いたけど、今は環境も変わり、家族もいたりなど、バンギャを卒業してしまったという人たちもたくさんいると思います。そういう人たちが、「あの頃は楽しかった」と戻れる、そういう作品にもなっていますし、そうなってくれたら嬉しいですよね。僕自身も、10代の頃に作った音源が、こうやってCD盤になるわけですから感慨深い想いがありますし、この頃があるから今があるのは間違いないので、とても大切な作品として受け止めています。

 

KISAKI:そう言ってくれるのが嬉しいよね。中には、自分の過去を黒歴史のように語る人もいますけど。僕から言わせたら、デモテープの音源に刻み込んだ、あの粗削りさが良かったりするんですよ。今と違って、当時はレコーディングをするにもいろんな面で限度や限界があった、その中へ、いかにして個性を詰め込むかをみんながやってきた。そういう曲たちばかりが、この2枚の作品に詰め込まれているわけですからね。

 

 

──Ruizaさん、けっこうな数の楽曲を収録していますよね。

 

Ruiza:2枚組全30曲の中、4曲も収録しています。あの当時の音源がCD盤になるのは、本当に感慨深いですね。この取材の時点で、僕はまだマスタリング後の音源は聞けてないのですが、あれから20年以上も経った音源たちが、どんな風に自分の中で蘇るのか、そこはMatinaバンドのファンだった人たちと同じように、僕も聴くのを楽しみにしています。

 

KISAKI:これはただの音源集ではなく、いろんな思い出も詰め込んだ作品だからね。ここにいるみんなも、そう。僕らにとっての青春が、この2枚のオムニバス盤には詰まっていますから。

 Ruizaは、当時からメロディーメイカーとしてすごく格好いい存在だった。中でもLAYBIALは、楽曲がすごくいいんですよ。バンド自体、勢いもあったし。それをこうやって再確認出来たのも嬉しいこと。ここには、本当に名曲ばかりが詰まっているから、Matinaの存在を忘れないためにも、ぜひ手元に置いてほしい。

 

 

──こうやって、歴史を語り継ぐ音源を残していくのが、これからは大事なことになりますからね。

 

KISAKI:そうなんですよ。今も、「Matinaのバンドが好きでした」という声を多く聴くからこそ、こうやって作品たちを復刻するのも大事なこと。それを今、改めて感じています。

 

 

──龍夜さんは、Syndoromeとしての音源を収録しています。

 

龍夜:僕は、KISAKIさんにとっては、AKIRAさんの次に一緒に活動をしたヴォーカリストになるんですけど。AKIRAさんは歌が完璧じゃないですか。その後を担うことからプレッシャーは半端なく、当時は無我夢中だったのを覚えています。ここに入っているのは、Syndromeとして最初のデモテープの音源。自分なりにいろいろと考えて歌った記憶もあるように、収録した曲にも思い入れはすごくあります。僕自身、手元にデモテープが残っていなかったこともあり、今回のCD音源化は本当に嬉しいことです。

 

ヒナ:僕はAZALEAとサリーで入っています。AZALEAの曲は今の現在のバンドでもやっている曲で、対バンの子たちから「AZALEAのファンでした」「AZALEA時代の曲をやってくれて嬉しかったですと言われるように、今の自分らの活動とも繋がっているから、縁の深い曲を入れることが出来たのは素直に嬉しいですね。

 

 

――昔の音源が形になって残るのは嬉しい?

 

ヒナ:すごく嬉しいことだと思いますね。自分の核が出来あがった頃といいますか。僕にとってMatina時代の活動こそが、バンド活動をしてゆくうえでの核だったりもするので。

 

 

――AKIRAさんは、どんな思い出が?

 

AKIRA:MIRAGEは第一期のデモテープ音源を収録しているから、僕の場合はL~CYFER時代の音源だけになるんですけど。嬉し恥ずかしですね。でも、自分の原点でもありますからね。L~CYFERはデモテープしか出していなかったし、僕自身が手元に持っていなかったので、CD音源デジタル化してもらえたのは嬉しいですよね。

 

 

――今回のオムニバス盤リリースにまつわる動きも計画しているのでしょうか?

 

KISAKI:今もまだコロナ禍の影響がいろいろと出ていることもあって、今回はCD盤のリリースのみの展開にしています。イベントなどに関しては、「今後やる機会があればいいな」というくらいの感覚です。なので、今回は純粋にMatinaの25周年の記念盤として今回の2枚の作品を楽しんでもらえたらなと思います。

 来年は、僕のバンド生活30周年の動きをいろいろと描きます。そのときには、Matinaへ所属していたバンドたちにも協力してもらうように、そういうところでもMatinaの存在を感じてもらえたらなとも思います。KISAKI30周年の動きに関しては、発表の時期を楽しみにしていてください。

 

 

 

PHOTO:横山 晶央

TEXT:長澤 智典

HAIR MAKE:A・DO・KAYO INOUE

KISAKI HAIRMAINTENANCE:hiko(UNDIVIDE)

 

 

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Matina 1997年の設立から25年、そして解体から20年。多数のデモテープから厳選、リマスタリングし奇跡のCD化

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「PRELUDE~Anthology of Brilliance~」 

2022.11.16 Vol:I&Vol:II 2種類同時発売!!

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各15曲入 価格各3,500円(税抜き) 収録曲は異なります

※2種類全て購入の方にば7曲入SPECIAL CD TYPE:Aをプレゼント。詳しくはCD封入の応募券をご覧下さい。

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P1-P16

【VOL.1】

1.MIRAGE「MOON-LIGHT-DANCE」(from「Refuse」)

2.Syndrome「SEXUAL」(from「SEXUAL」)

3.AZALEA「滅びの庭 」(from「滅びの庭」)

4.Vice†risk「Vice&Nervous」(from「Vice&Nervous」)

5.DAS:VASSER「青イ…「mask」(from 青玉)

6.Facizm「Risky love」(from「-Virgin-」)

7.Distray「Tear of mind」(from 「Period」)

8.L~CYFER「REQUIEM」(from「REQUIEM」)

9.Vierge「眩暈」(from「Taboo Reality in Pandra」)

10.La’veil MizeriA「deep[SLAY]」(from「deep[SLAY]」)

11.Remage「胎内実験」(from「人工知能の性的欲情」)

12.Mist of Rouge「レプリカ」(from「レプリカ」)

13.LAYBIAL「Peinture」(from「Peinture」)

14.Madeth gray’ll「呪ワレシ華ノ生命…」(from「狂死楽園」)

15.vellaDonna「HUMAN ON THE RACK」(from「◄◄REW◄◄」)

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P1-P16

【VOL.2】

1.MIRAGE「Cradle of Labyrinth」(from「Cradle of Labyrinth」)

2.Madeth gray’ll「missantroop」(from「狂死楽園」)

3.サリー「妄想天使」(from「わいせつセラピー」)

4.Mebius「ENVY」(from「ENVY」)

5.Zephyr「Before the wind」(from「Plumeless Eyes」)

6.L~CYFER「MASER BATE…」(from「MASER BATE…」)

7.allure idea「見テ見ヌフリ」(from「見テ見ヌフリ/雪の約束」)

8.méffist「Best Smile」(from「BIRTH of DEVIL」)

9.DERAIL「Vital vision」(from「Vital vision」)

10.GARDEN「輪」(from「escaria en escargot-輪-」)

11.Eze:quL「虚空の果てに…」(from「悠々たる天空…残欠の書」)

12.Facizm「DARLING」(from「-Virgin-」)

13.LAYBIAL「Visage」(from「Visage」)

14.Lubis Cadir「Sea the Sky」(from「Sea the Sky」)

15.vellaDonna「can’t stay」(from「D」)

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【二大特典】

※2種類全て購入の方にば7曲入りボーナスディスク TYPE:Aをプレゼント。詳しくはCD封入の応募券をご覧下さい。

※通信販売&ライブ会場で購入の方には7曲入りボーナスディスク TYPE:Bをプレゼント。をプレゼント。AとBは収録曲は異なります。

http://lorelei-entertainment.com

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【BONUS A】

1.MIRAGE

2.Mist of Rouge

3.Lagna

4.CRESCENT

5.allure idea

6.vellaDonna

7.Madeth gray’ll

※収録曲はお楽しみに。

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【BONUS B】

1.Syndrome

2.AZALEA

3.Vierge

4.Gu:Laymu

5.DESCRIBE

6.Lagna

7.Vice†risk

※収録曲はお楽しみに。