■『Paradiselost』だけをやり続けて解散したかった
――一般的にはバンドの音楽性が変化していくことはありますけど、Kαinの場合、大幅に変わるとか、新しいことに挑戦するというのはないわけですか。
「それはないです。本当の本当を言えば、ファーストアルバムの『Paradiselost』だけで10年やって、解散したかったですね。ファーストアルバムにやりたいことが全てが詰まっていれば、俺たちにとってはこれが全てで、それ以上やりたいことはないぐらいにできるものならしたかったですね」
――さすがにそれは難しい?
「難しいですね。つい曲を作っちゃうんで。また、つい才能があるもんで、いい曲ができちゃうんで(笑)。今はリリースのサイクルが速くて、シングルを3枚出して、アルバムが出て、アルバムのツアーが終わったら、もうアルバムのことを忘れたのかなっていうぐらいじゃないですか。商業的なペースに乗っていると仕方ないのかもしれないですけど、すごく寂しいと思うんですね。そういうやり方を音楽業界がやってきたから、音楽が消費されるスピードがどんどん早くなってしまって、音源の価値が下がっていくと思うんですね。そこに可能な限り逆らいたくて、『Paradiselost』に関するライヴはものすごくねちっこくやりました。いろんな角度から、このアルバムを表現して。アレンジを変えたり、シーケンスの音色を変えたりして、今はもうCDと全然違います。『Paradiselost』というアルバムを、僕らもファンの人もどれだけ理解できるかということをここまでの8年間のうち半分ぐらいはやっていた気がします。結成してすぐ作ったアルバムだったから、決して完成形のアルバムではなかったし、もっともっとよくなると思って、ライヴで表現しようとしてきたんです。たとえば歌詞の中に橋という表現があったら、その橋は木でできているのか、鉄でできているのか、石でできているのか、時間は昼なのか夜なのか、雨が降っているのか降っていないのか、そういうことを考えながらギターの音色を決めていくようなことをしていたんですね。その音色だと乾きすぎてて雨って感じしなくねえ?とか。それでは全く商業ペースには乗れないと思いますけど、趣味としてはすごく楽しいことをやってると思います」
――音が、歌詞の世界を表現するものとしての存在していると。
「ATSUSHIだったと思うんですけど、『Paradiselost』についてのインタビューのときに、アルバムを作ってると言うより世界を作ってる感じですって答えてましたから」
――その世界のもとになってるのは、歌詞だったり、幸也さんの頭の中にあるものだったりするわけですか。
「一番最初にどういう物語を描こうかというのは、JILSをやめるときに考えたんです。バンドとしては原点に戻りたいと思ったんですね。一番好きなことをやって、これが最後だよって思ってもいいようなことをやって終わりたいと思ったから。詩の点でどこまで原点回帰したらいいんだろうと思ったときに、僕はフィクション作家のような作詞家ではないので、そういう僕がコンセプチュアルなバンドをやって、コンセプチュアルなアルバムを作っていくとしたら、人間自身のことを書くしかないと思ったんですよ。人間としての核に戻るとしたら、旧約聖書の創世記というアイデアを思いついたんです。結局、人間という生き物の本質は、どこか欠陥を持っていて、それをどうやって補い合うかみたいなところだと思うんです。創世記は、アダムとイブが楽園から追放されるところから始まりますけど、アダムとイブの最初の子供、要は人間と人間から最初に生まれた人間がカインで、最初の人間なのに殺人を犯すんですね。最初の人間だったんだけど最初から罪を背負ってしまったというところからバンド名をとったので、そこから書こうと思ったんです。『Paradiselost』の一曲目の「THE END」っていう曲は、楽園を追放されるところから話が始まっているんですよ。その話が進んで、アルバムの3曲目の「STIGMA」で、楽園を追放されたカインの末裔が流浪してるところを描いたりしています」
――それからもずっと、表現するものが大きく変わることはなく、そのテーマをずっと表現し続けてきたと。
「そこから派生するものをずっとやってるし、それだけ重いテーマだったから、何年もかかったんでしょうね。たぶんBLAZEでライヴをやったときだったと思うんですけど、メンバーの中で、今日のライヴは僕らが思ってる『Paradiselost』を表現できたんじゃないかっていう感覚があったんです。じゃあ、次はどうするという話になって。今度は、先にライヴでいろいろなことを試しながら、次のアルバムをさぐっていく形にしよう、逆のことをしようということになりました。そこから、CDになっていない曲をどんどんやる流れが始まって、今に至るんです。今はたぶんCDになっていない曲が20曲ぐらいあるんじゃないですか」
――次のアルバムについては?
「もう決まってる曲もあるんですよ。この曲は次のアルバムのラストにしようねとか、レコーディングが終わってるところもあるんです。アルバムのタイトルも『Kaleidscope』って決まってるし、タイトル曲もライヴで何度か披露してます」
■藤田幸也の喜びと苦しみ
――今のお話を聞いてると、Kαinというバンドは幸也さんがやりたいことをやりたいようにやっているようで、メンバーさん皆でひとつのものを作ってるようでもあるんですね。
「そこはすごく微妙で、D=SIREのときもJILSのときも、結局は幸也のワンマンバンドじゃないかって言われてたんですよ。それでもいいと思ってる一面もあったし、でもバンドっていう形態に対する憧れもあったんですね。Kαinはソロプロジェクト的な側面とバンド的な側面が、すごい変なバランスで共存できてるんですよ。それがなんでなのかなとは俺自身も思ってて、ひとつは、書きにくいことですけど、メンバーがKαinが生み出す利益に執着してないということだと思うんですよ(苦笑)。もちろん利益は分配してるんですけど、SHIGEもATSUSHIもほかの仕事で成功してるんで、Kαinとしてリリースしないとお金が入らないから困るみたいなことはないんですよね。こういうことを言うと身も蓋もないけど、本当にアートとして音楽をやろうとするとそこに生活が絡んだらダメなのかなと思いますね。本来はやっぱりそうじゃないですか。歴史上の音楽家もパトロンみたいなのがいて芸術に打ち込んでいたわけですよね。村山さんが言ったとおり、Kαinは俺がやりたいことをやりたいとおりにやるプロジェクトだと思います。すごいストレスないですから。メンバーがどうしてこんなにやってくれるのかなっていうぐらい、音ひとつとっても追求してくれてるんですね。だからすごい有り難いと思ってます。ありがとうってメンバーに言うことが多いです、今は」
――そのせいか、D=SIRE、JILS、Kαinと見てきましたけど、良くも悪くも幸也さんだなって思うところがあるんですよね。表現や歌に対する姿勢とか、ライヴの一瞬に対する姿勢は変わらないと言うか、ああ幸也さんだなって思うんですよね。
「やりたいこと自体は、きっと19、20ぐらいから変わってないと思います。それが、僕のスキルのなさとか経験のなさとか、人間関係の構築の上手じゃなさとか、そういうのでできなかったんだと思います。だから、Kαinをやっててすごい幸せなんですよね。こういうバンドを20代のときにやれてたら、俺めちゃくちゃ売れてたんじゃないかってふと思うときもあるし、その一方で、いっぱい失敗を重ねて、この年齢になってこのメンバーとやってるから、こういう関係性なのかもしれないなとも思うんで、すごい儚いなって思うんですよね」
――儚いという言葉が出ましたけど、Kαinのライヴを見ていると、とても刹那的なものを感じるんですよね。
「その理由はわかりますよ。ぶっちゃけた話、BLITZとかO-EASTとかあれぐらいの会場で、ステージセットを組んで、演出とかもして、ライヴをするためには、総予算がいくらぐらいだと思います?」
――見当もつかないです。
「だいたい400万円ぐらいです。400万円を用意しないといけないんです。でもそれで済まないんですね。もしライヴ当日何らかの天変地異で、ライヴが中止になったとしたら、チケットは全て払い戻しですよね。でも、その日のために作ったステージセットとか雇った人のギャラはゼロにならないですよね。って考えると、ライヴにかかる総予算の倍ぐらいはプールしておかないといけないんです。僕は大きいライヴは年に2回ぐらいしかしないですけど、年に2回毎年800万円を用意していざというときに備えることを20年間したら、どれぐらい精神が疲弊するか(苦笑)。個人でですよ。だから、毎回これが最後かもしれないというのはマジで思ってます。」
――非常にリアリティのある感情なわけですね。
「だから、こういうのが出来て幸せだと思うんですね。やりたい表現ができて、自分がいいと思うメンバーが自分のために一生懸命演奏してくれて。でも、ずっとはできないですよ。これだけ永くやれてるのは奇跡なんです。この話をして、共通してそうだよね、大変だよねって共感できるのは、KISAKIと未散ぐらいじゃないかな(笑)」
――一方、イベントでのライヴのMCでは、ファンに対して、自分にキャリアがあることをことさら強調したりしますよね。あれには何か理由があるんですか。
「イベントによっては、バンドのメンバーが俺の子どもでもおかしくない年代の子と一緒に出演することもあるわけですよ。これを村山さんによくわかってもらえる説明をすると、今すぐ水着になってAKBの中にまざって踊ってくださいって言ってるようなもんですよ(笑)。すごく失礼ですけど、若さと元気さでは絶対勝てないですよ。それを俺はやってるんです。だから、トークひとつとっても、自分が今まで培ってきたもので何ができて、どういう方法で興味が引けて、どういう方法で表現ができるのか考えた結果がああいうステージなんです」
――冷静に自分と周りを把握した上でのパフォーマンスなわけですね。
「そらそうですよ。20歳そこそこの子がキラッキラの衣装を着て、ふりつけして、踊ってるのと対バンしなきゃいけないから。そういう子たちをバカにしてるとかじゃなくて、自分は何で勝負すればいいんだろうっていう話ですよね。自分じゃないとできないこととか、20年なら20年やってきたからできることとかをやっているだけです。出る以上は、何を使ってでも何かを残さないとダメですからね。それができないと思ったら、出るべきじゃないですよね。主催者にも失礼ですし。僕は楽曲だけに限らず、何を使ってでも残したいタイプなんです」