1995年
関東を中心に活動していたバンド・SOLIDにギタリストとして加入。新宿ロフトや横浜7thアベニューなどで勢力的にライブ活動を行う。ビジュアル系音楽全盛のシーンの中、YO-HEIの加入によりSOLIDの音楽はコンピューターを駆使したデジタルサウンドとバンドサウンドグルーヴの融合という近未来的音楽に変貌を遂げる。そのスタイリッシュなサウンドは業界関係者、音楽ファンの間に噂となり、瞬く間にその名がシーンに浸透してゆく。
1997年
ex.Die In Criesのボーカリスト・Kyo(現BUG/D’ERLAGER)のソロライブのギタリストとしてファンクラブイベントを含む東京4公演(ファイナルは渋谷公会堂/現 渋谷C.C.Lemonホール)と全国ツアー全17個所(ツアーファイナルは渋谷公会堂/現渋谷C.C.Lemonホール)のライブに参加。このツアーは、下記の通り一流ミュージシャン揃いのメンバー中、この時点で一介のアマチュアミュージシャンに過ぎなかったYO-HEIの起用はまさに大抜擢であった。
Vo. Kyo
Gt. 広瀬“Jimmy”さとし (spAde/現44MAGNUM)
Gt. YO-HEI (SOLID)
Bass. 川嶋“HAL”晴信 (ex.DER ZIBET)
Drs. 中幸一郎 (DEMI SEMI QUAVER) 全国ツアーはサトウミノル(FRICTION)
Key. 藤原マヒト
1998年
Kyoのavex移籍第一弾シングル『LISTEN to ME』のレコーディングに参加。YO-HEI自身、初体験のプロのレコーディングの現場ながらも、センス抜群のバッキングやトリッキーなソロプレイで好評価を得る。
1998年6月
SOLID、デンジャー・クルー・レコーズと契約。1stアルバムの制作に取りかかる。
1998年10-12月
横浜7thアベニューを中心にデビュー前のプロトライブ計18本(シークレットを含む)を敢行。徐々に動員も増加の一行をたどる。
1999年3月
デンジャー・クルー・レコーズより、SOLIDデビューアルバム『HYBRID SIDE』をリリース。(初回限定5000枚はデジパック使用)
ハードかつヘヴィなギターサウンドに緻密なコンピュータプログラミングが施された(プログラミングやキーボードパートもYO-HEIが担当)シーケンスサウンドの融合というSOLIDが培って来たカラーを全面に出し、なおかつアコースティックギターやヴァイオリンなどの生楽器も随所に取り入れたサウンドで注目を集める。
1999年3月
新宿ロフトにてデビューワンマンライブ『is it or isn’t it ?』を行う。
1999年5月
1stシングル『Light & Shade』リリース。
1999年7月
渋谷ON AIR NEST(現Shibuya O-nest)にてワンマンライブ『DATE OF BIRTH』を行う。
1999年8月
2ndシングル『SET ME FREE』リリース。
1999年8月
大阪BIG CATにてSOLID初の地方公演を経験。
1999年9月
渋谷ON AIR WEST(現Shibuya O-WEST)にてワンマンライブ『DEAD or ALIVE』を行う。
1999年12月
全国ツアー『HYPER SPEED ATRRACTION』を行う。計9本 ツアーファイナルはON AIR WEST(現Shibuya O-WEST)。
2000年3月
全国ツアー『HYPER SPEED ATRRACTION Vol.2』を行う。計9本 ツアーファイナルはON AIR WEST(現Shibuya O-WEST)。
2000年3月15日
3rdシングル『I SAY』リリース。
2000年6月
渋谷ON AIR EAST(現Shibuya O-EAST)にてポルノグラフィティ他とイベントを行う。このイベントの後、2ndアルバムの制作に取りかかる。
2001年3月
SOLID、突然の解散をマスコミを通じて各音楽媒体に発表。“理由なき解散”にSOLIDファンは勿論の事、関係者並びにYO-HEI自身も困惑していた。
2002年12月
元来、ロックバンドの1ギタリストとして評価される事を好まなかったYO-HEIは、SOLID解散後はコンポーザー並びにアレンジャーとして活動開始。 CMソングの楽曲制作やゲームサウンド制作を手がけ始める。この時期、特にハードの急成長期を迎えていたMobile Game機のサウンドプログラミングに非常に興味を示し、のめり込むようになる。
2003年8月
長年の友人であり、プロレス団体『闘龍門JAPAN』(現・DRAGON GATE)のサウンドディレクターを務めていた中澤矢束氏の依頼により、同団体第3のプロジェクト『TORYUMON-X』のメインテーマソングにYO- HEI名義の楽曲が使用される。しかし、この時点ではマスコミ未発表。曲名はプロジェクト名に因んで『X-CLAMATION』と命名される。
2005年5月
新世紀プロレス団体・DRAGON GATEのサウンドトラックス『DRAGON STROM』にてK-ness.選手のテーマソング『BURST OUT』を楽曲提供。YO-HEI自身、選手のテーマソングを初めて手がけると共に、音源としては実に5年振りのリリース。
2005年10月
PS2用ゲームソフト『The All Star格闘祭』のBGMにギタリストとして参加。
2006年9月
「多様化していく音媒体に柔軟に対応しプロデュースしていきたい」という思いから、自身のアーティストとしてのマネージメントをも含め、全てをプロデュースできる音楽制作プロダクション『Office Cat’s Drive』を設立。
2007年3月
DRAGON GATEのトップレスラー・CIMAとB×Bハルクによるユニット『Blood Hearts』のデビューシングル『1,000,000 dreams』(DRAGON GATE RECORDS)のサウンドプロデュースを手掛ける。
2007年7月
DRAGON GATEのメインテーマソング『DRAGON STORM 2007/JAM Project』(DRAGON GATE RECORDS/Lantis)のサウンドプロデュースを手掛けると共に、JAM Project ベストアルバム『BEST COLLECTION V Big Bang』の中の『DRAGON STORM 2007 (album ver.)』にもギタリスト兼アレンジャーで参加。
2007年7月
CERO Cという対象年齢規制がついていながら、ゲーム業界史上記録的大ヒットを打ち出したニンテンドーDS用ゲームソフト『どきどき魔女神判!』(SNKプレイモア)の全サウンドを手がける。同時に、サウンドトラック『どきどき魔女神判!ORIGINAL SOUND TRACK』も発売となり、美少女アドベンチャーゲームに対しハードなギターサウンドを大胆に取り入れた、前例の無いBGMが業界内で話題を呼ぶ。
2007年9月
幕張メッセで行われた日本最大規模のコンピュータエンタテイメントの総合展示会「東京ゲームショウ2007(TGS 2007)」のSNKプレイモアブースにてライブパフォーマンスを行う。 2007年10月
YO-HEI solo debut maxi single 『Existence』 リリース。
タイトルチューンの 「Existence」 はCS放送GAORA 『無限大』 のメインテーマ曲、M2 「BURST OUT」はYO-HEIが初めてDRAGON GATE選手に楽曲を提供したK-ness. (クネス) 選手の入場テーマソング。M3 「Ride on Madness」は、フジテレビ系列テレビ西日本 『龍の扉』 のメインテーマ曲、M4 「Platinum TRAP a」は2006年、中国・北京でデビューを果たしたDRAGON GATEの超神龍(スーパーシェンロン)選手の入場テーマソングと収録曲全4曲がタイアップというものであった。
また、バンドギタリストのソロ作品というと自ら唄うアーティストが多い中で徹底してインストで押し通すスタイルで周囲を驚かせた。
2007年11月
DRAGON GATEのレスラー、ドラゴン–キッドとかねてから交流のあった元FMWのハヤブサが結成したアコースティックデュオ 『ハヤブサ&ドラゴン・キッド』 のデビューアルバム 『Trust!』 のサウンドプロデュースを手掛ける。
自身も「サヨナラ」「B面のラブソング -12月の雨に打たれて-」の2曲を楽曲提供。また、ツアーサポートメンバーとして “Trust!”Tour 2007 (インストアイベント含む7公演) にギタリストとして参加。
2007年12月
『どきどき魔女神判!』(SNKプレイモア)の続編 『どきどき魔女神判!2(仮)』のイメージソングを含む全16曲入りアルバム 『どき魔女!フェスタ DayLight & MoonLight ORIGINAL SOUND TRACK』 の発売と同時に発売記念イベント『どき魔女!フェスタ DayLight & MoonLight』を秋葉原GOOD MANにて行う。
2007年12月
DRAGON GATEのレスラー、望月成晃が自身の入場テーマソング「あしたのジョー2」の主題歌『傷だらけの栄光』を自らカバーするという歴史的作品のサウンドプロデュースを行う。
YO-HEI自身もマニピュレーター&ギタリストという立場で演奏にも携わった。